店主日誌
2001年3月

3/30
(金)

★4月1日は日比谷公会堂で津軽三味線コンクール全国大会。5月3日から青森の全国大会といよいよ賑やかなシーズン到来。東京の桜は今が満開。

3/27
(火)

★昨夜、高円寺の『JIROKICHI』で新田昌弘さんのライブを初めて見た。狭い店が観客で溢れかえり、始まる前から熱気が伝わる。17歳の津軽三味線弾きは何のこだわりも無く、バンジョーやギター、パーカッションなどと軽々と溶け合ってゆく。なんて自由な演奏をする子だろう。

3/11
(日)

★開店記念日。今日から13年目に突入。同時にホームページ開設記念日。冷たい不景気風に吹けば飛ぶよなちっぽけな店が何とかやって来れたのは、ひとえにお客様のお蔭と先ず一番に感謝。そしてこの12年間に出会うことの出来た全ての方々、最後に優秀なスタッフの面々並びに家族のみんなに感謝し…これからも宜しくお願い致します。合掌!

★午後、横浜アリーナに生まれて初めてボクシングの世界タイトルマッチを見に行く。チャンピオンはべネゼイラのレオ・ガメス。去年の9月、戸高秀樹の顎を打ち砕いたアッパーカットのもの凄く強いチャンピオンだ。挑戦者はセレス小林。

 実はこの4、5日前に私は小林の所属する国際ボクシングジムにチケットを引き取りに行き、帰りのエレベーターで偶然この偉大な挑戦者に会っていたのだ。しかもたった二人だけで。それでも私は彼がエレベータ―に乗り込んで来た時、ドキドキしながらも「がんばって下さい」とやっと言うと、セレス小林はこちらを一瞬鋭い目で見て「ありがとうございます」とやわらかい笑顔で答えてくれた。私は「きっと勝ちます」と言いたかったが遂に言えなかった。なぜならば小さく細い体に薄水色のジャンパーを着て、よれよれのパンツにスニーカー姿の挑戦者はとても強そうには見えなかったからだ。町工場のお兄ちゃんと言う感じだ。左のポケットからちびたマスクを取り出し口にかける様子も、練習帰りで疲れているようで弱々しくとてもあのガメスに勝てるとは思えなかった。でもあの強いガメスに勝って欲しいとこの時、痛烈に思った。


7回、セレス小林(右)のパンチがレオ・ガメスの顔面にヒット
――2001年3月12日(月)朝日新聞夕刊

 試合のゴングが鳴った途端、セレス小林がとても大きく見える。間もなく大きく踏み込んだ右足を軸に左のストレートがガメスのふところを始めてヒットしたそのパンチの伸びに驚いた。その後は下手な解説はいらない。10回、左のフックがガメスの顎を直撃してチャンピオンがグラリとした瞬間、1万人の場内は総立ちになり、私は涙がいっぺんに吹き出た。ガメスは立ち上がれずセレス小林のTKO勝ち。WBAスーパーフライ級新チャンピオン、セレス小林誕生!こんなに感激した事は久しく無かった。
 セレス小林のボクシングは何故か『お百姓』のようだと思った。確実なパンチを初回からボディに決め、ラウンドごとに確実にボディをヒットさせながらも深追いすることなく、重心の低い構えからのフットワークのキレは、昔会ったことがある『お百姓』のように美しく懐しかった。そして何よりも強かった。
2001年3月11日、三味線かとうの開店記念日の一日は、かくして劇的に始まるのでありました。
 帰り道、単純な店主は「土を耕そう!」と夕陽に向かって決意する。

3/3
(土)

★三味線かとうのすぐ近くにある荒川第九中学校より『生き方トーク』ということで生徒にお話をして下さいとの依頼を受け、またノコノコと出かける。もちろん私の話などは5分も持つわけは無いので例によって山口、柴田両名人の助けを仰ぐ。
 今回は体育館で2、3年生全員だ。最初に私の短い話の後、早くも柴田名人登場。1時間目の授業なので冷え切った指に「勧進帳の滝流しはきついです」と言いながらも軽やかに弾き始める。続いて山口名人も加わり「ちょうちょ」「津軽三味線デュオ」「ひなまつり」と続き、生徒たちの三味線体験コーナーもあり、おしまいにこの日のために仕込んだ「らいおんハート」を三味線の伴奏に合わせて柴田歌手が高く澄んだ歌声を響かせると、盛大な拍手がアンコールを呼ぶ。ここでよせばいいのに笑顔マンマンで求めに応じる二人であった。

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