店主日誌
2007年4

4/28(土)

 サンフランシスコに住むNさんご来店。こないだの日曜日、本條秀太郎先生の紀尾井ホールでの端唄の会をご一緒して、帰りに駒形どじょうでいっぱいやりながらサンランシスコの三味線事情や、習慣、英語のことなど色々楽しくお話をお聞きした。おいしいお酒が飲めて最高にご機嫌、お別れする時ご宿泊のホテルの前で、「ハグハグ」したようなそんなことなかったような・・・気になっていたので今日来店された時にお聞きしようと思ったが、最後まで恥ずかしくてお聞きすることが出来なかった。

 Nさんに、飲んでいる時に一つ英語を教わった。それは先週、日本に着いてすぐに来店された時、私が「Nice to meet you !」と言ったことに「それはないわよ、だって私2回目よ、来たの。」あっ、そうか2回目以降は言い方が違うんだ。「なんて言うんですか、そういう時は」と聞くと、即座に「Thank you for the come in!がいいわね。」そこで、さっき再来店のとき大声で「Thank you for the come in!」とやったら大笑いして喜んでくださった。13歳からアメリカに渡って、苦労なさって演歌から民謡を唄い続けてこられた素敵な方。今はサンフランシスコでワンちゃん2匹と暮らしているので何時でも遊びに来てねと・・・また会う日まで。

4/27(金)

 明日からゴールデンウイーク。青森県では津軽三味線全国大会があり、3日、4日の弘前には三味線かとうは例年のように出店する。続いて4日、5日の金木町大会、同じく今年から青森市大会も開催される。更に8月には名古屋でも全国大会が初めて行われることになった。秋には神戸、大阪大会もある。こう見ると津軽三味線も最高の隆盛を極めているように見える。確かに次々と若い有能なプレーヤーが各大会から輩出している。年々若者のリズム感は益々良くなっているのだろう。

 一方、いわゆる「津軽臭さ」は無くなってきているとよく言われる。そりゃそうだ。なんてったって昨年に引き続き、今年もアメリカから新人が初出場する時代だ。アメリカだけでなく世界に津軽三味線の人気が高まっていることも間違いない。「津軽」は、とっくの昔に津軽地方のものだけではなく、全国、そして全世界に広がり始めている。津軽のなまりは無くとも立派にそれぞれの故郷のなまりを有している。

 「津軽のなまり」とその心を深く敬愛するカリフォルニアなまりの私の友人、ケビン・メッツは今年3度目の出場を果たす。世界は今、「TSUGARU」を目指して静かにひたひたと押し寄せている。

4/14(土)

 深夜の激しい降雨から一転、今朝は碧天の青空、高くうろこ雲。

 今夜は1年ぶりのちとしゃん亭、温度も今年最高の22度を超えるとか、ちとしゃん亭をやる時に一番気になるのは、気温だ。店内に入れるお客様はいいが、外でご覧になる皆さんはこの時期とにかく寒い。ストーブを出したり、縁台に毛布を敷き、更に毛布を上掛けしても間に合わないことがある。桜は殆んど散ってしまったが、花のあるちとしゃん亭の出演者を見に来てくださいナ。

4/10(火)

 このところ、やけに雑誌などの取材が続いている。先週もお堅い『発明協会』からの取材で、そして明日も某男性雑誌になぜかウチの誰やらが指名されていて仕事の様子を丸一日かけて撮るという。いずれにしてもこの時代に多方面のメディアから続けざまに興味を持たれるということは稀有なことだと思うし、本当に有難いものと三味線にかかわるいろんな方々に常に深く感謝している。

 1日は、日比谷の日本民謡協会主催の津軽三味線コンクール全国大会があり、一般の部優勝は松橋礼香さん。やっと念願が叶いましたね、おめでとうございます。

 そして同じく8日は昨年に引き続き同主催、和洋楽器グループコンテストが開かれ、優勝は「東京民族音楽」というグループに決まった。当店の「夢絃21」はグランプリの副賞として与えらる。ただこのメンバーの使用和楽器は横笛、尺八、笙で、三味線は使用していなかった。出番が終わった後、ロビーに出店している私どものブースに来て、初めて触る三味線をいともたやすく軽々と、しかも楽しく弾いてしまっていた。それは見ていてとても楽しい光景だった。

4/1(日)

  年度初めの初日、気分一新、休日を返上してホームページのトップをリニューアルした。まだ完全ではないがゆくゆく手直しを加えよう。といっても主に倉橋君の作業だが・・・。今日は最高に天気の良いお花見日和であったが、閉じこもって、それこそ一心不乱に一気にやり遂げたという感じだ。彼の目はマイッタ狸目、ご苦労様でした。

  一方、山口両氏は日本民謡協会主催の津軽三味線コンクールに出店のため日比谷公会堂に出かけた。日比谷公園も今日は人が出ているんだろうな。