店主日誌
2005年3月

3/31
(木)

 4月3日の日比谷の津軽三味線コンクールに出店のブース作りをM・山口が中心になって考案している。私は今回、特に『夢絃21』エレキとサイレントをプレーヤーがどんどん触って弾けることをメインにすることを提案した。さて結果やいかに? どうぞお客様、いっぱいお出でになってお気軽に遊んで行ってくださいませ。

3/26
(土)

 私は22歳の時、定時制高校を卒業したが、そのクラス会があり池袋のサンシャインプリンスホテルに行った。担任の先生は今年92歳。剣道で鍛えた立派な体は今もかくしゃくとして食事をするフォークとナイフさばきも実にダイナミックで豪快。数学の先生で私は卒業時、数学は0点クラス、いつもテストのたびに後ろの席のやつにカンニングをして助けてもらった。そんなことお見通しに違いないのだが、担任の情けか(そんな言いようはないヨナ)卒業できたのはこの先生のお蔭。

 2次会は「ババアしかいないぞ」という陽気な幹事にむりやり連れ込まれたスナックでリクエストをしたのまでは覚えているのだが、プリンスホテルで飲んだナントカ言う甕に入ったやたら旨い生酒がきいて唄ったのかどうなのかさっぱり記憶がない。その後、大塚から都電に乗って町屋の日本海庄屋に行き、そのあと行きつけのもんじゃ焼き屋に行ったのは良く覚えている。ただ誰がそばに居て何を語ったのかは定かでない。帰り、駅に置いた自転車に乗ろうと何回も試みるのだがどうしてもご乗車出来ない。仕方なく家に電話してお迎えを仰ぐ。

 翌日、友人に連絡して小さい声で昨日無礼はなかったかを訊ねると『カアチャン』(こいつのニックネーム)は電話口でニヤニヤ笑いながら「ご機嫌でしたよ」だ。まあ大事は無かったようだ。全部で7人もんじゃ焼き屋で皆うまいうまいを連発してたそうだ。良かった、ほっと胸なでおろし・・・。

3/25
(金)

 仙台で行われた木乃下真市コンサートの“木乃下スペシャル”を初めて聴きに新幹線に飛び乗った。仙台駅の構内でカミさんのご推薦『利久』で牛タン定食をかっ込み、そそくさと会場に向かう。

 初めて聴いた感想はこれから聴く人たちの想像力を損なうので差し控えよう。大成功を確認し会場を出た。そこで小田島徳旺先生や10cm以上背が伸びたと思うが逞しくなった1年ぶりの浅野祥君に握手一礼して走ってタクシーに乗り込む。あァ、なぜか仙台に来る時は走っていることが多いナァ。新幹線車内で同行のM・山口と祝杯! 0時すぎ帰還。

3/19
(土)
 『軍鶏』単行本合本8巻を読み終えた。『20世紀少年』も好きだが、『軍鶏』は今まで見たことのない決して同化できない主人公、それなのに強烈に惹きつける。激しい格闘場面が多いのに、この静謐は何だ? それと何よりも絵が澄んでいて美しい。続編が待ち遠しい。
3/17
(木)
昨夜から漫画『軍鶏』にハマッた。
3/16
(水)
 近くのひろば館でちとしゃん亭の演目打合せ始まる。日比谷公会堂の出店準備もそろそろと。
3/15
(火)
昨日、CSテレビの取材あり、4時間余りの収録。『生きる〜歳時記100人』と言う45分間番組で放送は3ヵ月後になるらしい。
3/9
(水)
朝は空気がまだまだ冷たい。公園の土も霜柱が高く立つ。
3/6
(日)

 先日、母校の中学で『職業講話会』と言うのがあり、講師として中学1年生に話をした。体育館で4人の大人が順番に10分〜15分程度の仕事の経験などを語るのだが、私は13歳の中学生に仕事の何を語ったらよいのか悩んだ。結局、私が中学を卒業して15歳の時、住込みで仕事に就いたばかりの時のことを話したが、いやぁ、緊張したゼ。何しろ相手は一番感じるお年頃。

   一昨日、東京は雪に見舞われた。その夜、名古屋で木乃下真市さんのコンサートがあり、M・山口が 昨年秋より試し続けていた『夢絃21』バージョンアップタイプが使用され、大成功を収めた。既に2年ほど前に上妻宏光さんと共同で製作させていただき“上妻バージョン”が成功しているが、それとも全く違う“木乃下スペシャル”の誕生だ。

   お二人の音の好みを熟知した上で、仕事場と現場での極度に集中したテストの繰り返しの末に生み出されたNEW『夢絃21』であり、作り手とアーティストと音響スタッフが一丸となって完成させたものだ。

 それにしてもMの脅威の粘り腰というか・・・・・愛情のみが 進化を育む 夢絃かな。