2004年4月10日発行 ぴあMOOK 音楽の全仕事2005より

    エレクトリック三味線『夢絃21』で
                           多彩なセッションが可能に

仲間とともに世界初となるエレキ三味線を考案・製品化したり、自分のお店で不定期の三味線ミニライブ「ちとしゃん亭」を開催している加藤金治さん。伝統芸能の世界に身を置きつつも、  常に若い世代を意識しては新風を巻き起こしている

修業、旅、演劇を経て、三味線の店を構える 

 三味線は棹と胴から成り立っている。棹は主に紅木から作られ、棹の職人は手が真っ赤になるという。一方、胴は花梨の木で組み合わせたものに皮を張って作られる。三味線のジャンルやお客に合った皮を選び、それを張る…それが皮張り職人の仕事。三味線専門店『三味線かとう』の取締役である加藤金治さんは、棹の職人を父に持ち、中学を出るとすぐ皮張り職人に弟子入りした。

 「皮は破れることもあるわけだから、仕事として皮張り職人の方が需要があると思ったんです」

 快活な笑顔で語る加藤さん。住み込みで3年間、その後4年間は定時制高校に通いながら、計7年間修業して、腕を磨いた。そんな三味線職人は、その後意外な経歴を重ねていく。

 「22歳のとき修業を終え、全国を回る放浪の旅に出ました。重い生活を7年もしていたものだから、羽が生えたように身も軽くなって東京を飛び出しました。とにかく違う世界が見たかった。違う世界が見たいという気持ちは常にあって、今も変わりませんね。

 与論島から利尻島まで、いろんなことがありました。ヒッチハイクで野宿して、お金がなくなるとユースホステルでバイトしたり…。警察で尋問を受けたこともあったりして(笑)」

 放浪は2年続き、24歳となった加藤青年は皮張り職人として独立する一方で演劇の世界に足を踏み入れた。昼間は皮張りの仕事をして、夜になると芝居に精を出す生活。客演がきっかけで世仁下乃一座(よにげのいちざ)という劇団に参加するようになるが、賞を取ったことで人気が上がり、公演数が急増した。そのままでは本末転倒になってしまう…そう考えて、16年前に芝居をやめた。

 「仕事はべース。一番大事だと思っていますね。ですから芝居をやめて、店を持ったんです。三味線張りは季節ものですし、職人だけをやっていても仕事がないんです。こうして小売りとかいろいろやっているからこそ食っていけるんですよ」

エレキ三味線『夢絃21』は革命なんです!

 『三味線かとう』のオープンは1989年3月。その年の6月には、ミニコンサート『ちとしゃん亭』を開催した。商品を片づけてスペースを作り、表には縁台も置き、道行く人を引き込む無料ライブ。最初のゲストが、ロック三味線で知られる異色浪曲師にしてシンガーソングライターの国本武春氏だった。

 「そのご縁で国本さんのライブに行ったんですけど、すごく面白かった。アコースティックギターとキーボードを使って、しゃべりも最高に上手で…。ただその中で三味線の音が埋没しちゃうんですよ。そこで、以前から考えていたエレキの三味線を作ることにしたんです。そのことに関心を持つ力強い協力者にもたまたま出会うことができたので」

 こうして『夢絃21』の開発者である山口繁夫さんとともに、試行錯誤の日々が始まった。振動マイクを皮の裏面につける。それだけでは音が増幅しないので、プリアンプを内蔵させた。1990年7月に試作1号機を使った国本さんのライブを開催。さらに改良を加えて、半年後にエレクトリック三味線『夢絃21』を発売。1年後には津軽版も発売した。

 「とにかく普通の三味線の音を出すことにこだわりました。だから、こんなノイズがあっちゃいけない、こんなに低音が伸びちゃいけないとか、いろいろ言って手を加えていきました」

 三味線は四畳半の楽器と呼ばれていたそうだ。比較的狭いスペースで楽しむ楽器で、大ホール向きではなかったのである。歌舞伎などでは大きい音を出すために何丁もの三味線を使う。

 「だから、エレキギターやキーボードなどとセッションしても埋没せず三味線≠主張するエレクトリック三味線『夢絃21』は革命なんです」というわけ。

 しかも高額の商品だと若い人に手が届かないという発想から、加藤さんは紅木ではなく花梨の棹を見栄え良く加工して、エレキ三味線の廉価版を作った。かっこいい上に音も遜色ない。これなら加藤さんが常に意識している10代≠ニいう年齢層にも受け入れられる。

 「今年の8月に『TOKYO BATTLE』と題した三味線バンドコンテストを全国から募集し開催します。そのチラシを今から考えなきゃいけなくて…」

 赤字をギリギリのところで抑えるために今も奔走中という加藤さんだが、その笑顔はとにかく明るい。この2月には、1999年より休止していた『ちとしゃん亭』も復活し、犬盛況となった。かつての放浪青年の仕事は、下町のおばあちゃんから若者まで、プロから素人まで、すべてを魅了する。これこそが本当の意味での古さと新しさのハーモニーではないだろうか。