「楽器商報」1996年10月号より

特別企画 エレクトリック三味線『夢絃21』
三味線かとう主人 加藤金治さんにインタビュー

 ここ数年来、これまでマイナー視されてきた楽器の広がりが顕在化して来た。大正琴、ハーモニカ、世界各地に伝わる民族楽器etc。
 今ミュージックシーンでも、静かなブームをかたち作っている『音』には、伝統的要素への意識が濃度を増している。情報化により世界が広がり、一層均質化される中で、そうした楽器(音楽)の動きには、どんな思いが込められているのか。ささやかな波動だが、不振が言われる楽器業界に一つの示唆をもたらしてくれそうだ。
 今回の特別企画は、邦楽器の三味線をいち早くエレクトリック三味線『夢絃21』として製品化し、木下伸市を始めとする津軽三味線の若いプレーヤー達を後援している『三味線かとう』の御主人、加藤金治さんにお話をうかがった。
 
また『かとう』さんは、お店では、ユニークなミ二シアター ちとしゃん亭(本誌7月号『ニユース』参照)を開催するなど、伝統の世界から、現代に新鮮なパワーを送り込んでいる。


――私たちも読者も、一応は三味線という楽器のイメージは、思い浮がびます。しかし、三味線や邦楽など、これまで伝統的だった領域は洋楽・洋楽器に比べ遠い世界になっています。
 エレキ三味線のお話をうががう前に、まず三味線を作っていらっしやる加藤さんにとり、三味線とそれを取り巻く世界を、どの様に捉えておられるかお話しください。

 「特別三味線に思い入れがあってこの仕事を選んだわけではないので、広い視野からお話しできるかどうか解りませんが、作り手の側から、またその世界の内郡から三味線についてお話しできるかもしれません。
 まず、僕の経験から話させて項きましょうか。父親は三味線の棹を作っておりましたので、それがきっかけと言えるかもしれません。僕は、15歳で根岸にあった皮の張り替え専門の三味線屋さんに住み込みで奉公しました。3年間は、住み込み。後の4年は、学校に通いながら7年間修行しました。棹作りより、皮の張り替えの方が需要があったのです。それに僕としては、早く独り立ちしたかったわけです。
 やはりこの仕事は古いものです。今なら音の一つ一つのレベルをチューナーなどで理解できますが、それをほとんど勘を頼りにした、手作業だけで作っていきます。こう言ったら語弊があるかもしれませんが、この業界は保守的で、頑固な部分があります。こうした作業は−写真−原始時代の方法です(笑)

――では加藤さんは、お仕事をより近代化、あるいは合理的にした方が良いとお考えなのですか。
 「そうですね。三味線では、例えば棹や胴などは、近代的なコンビユータで制御して精密に作った方が、良いものができる場合があります。名人も歳を取れば視力も衰えますから。これまでは、伝統を守ると言う気待ちから、頑固に頑張っていたわけで…(笑)
 世代も代わっていますし、気概だけでは伝えきれない、維持しきれないところにもはや邦楽の世界は来ている。しかし合理的にはならない、できない部分が多いことも解ります。ご覧に入れている、皮革張りに関しては、皮の質や厚さ、その時の乾湿コンディションなど、難しいところがあり経験に頼らざるをえない。勘が頼りになります。『何十年経っても良い仕事ができない』なんて昔の名人、職人さんの言葉がありますが、かつてはそういうのって、本気にしてなかった。
 ところが、今はそのことが良く解ります。ある時突然−あっこうやってやればいいんだ、こうやってやるんだ‐という発見がしばしばあります。すると今まで何をやっていたんだろうか、と思うことにもなるんです(笑)
 様々な課題を考え合わせて始めたわけではありません。しかし、普段感じていることがありました。と言うのは、三味線の世界は、作る側も演奏する側も外に開いていない。
 例えば洋楽器なら、ギターを演奏する人とサックスの人が気軽に合奏し合えます。異なるジャンルの演奏家がジャズやロックを演奏するのは珍しいことではありませんね。音楽や楽器でコミュニケーションし合えます。ところが、同じ楽器なのに邦楽の世界では、それぞれの流派を越えて演奏し合うことは、つい最近までありませんでした。例えば、清元節にも何人もの家元さんがあり、長唄にもあり、それぞれの流れの人が流派を越えて共演することは、極最近始まったばかりです。まだまだ垣根は高く、津軽三味線も長唄三味線も同じ楽器同士なんだから、とはなかなかいかないものです。ですから三味線の人口が増えません。流派とか、奥義は秘伝として守られるかもしれませんが(笑)。
 そうした垣根の高さもあり、随分と以前から三味線は若い人の楽器ではありませんでした。
 20年程前でしょうか、三橋美智也、高橋竹山先生などの活躍で、民謡の三味線ブームがありました。三味線が新しい楽器として若い人達にも受け入れられ、注目を集めた戦後唯一のことでした。このブームの後は、同業の三味線屋さんがパタパタと廃業してしまいました。跡継ぎもいませんし。
 そんな頃、お店を開業しました。決して楽観できる状況ではありません。ですからより以上に、お客様にとって魅力がある三味線とか、音とかが何か、常に考えなくてはなりません。
 大袈裟なものではありませんが、その試みの一つが、この店を会場にしている『ちとしゃん亭』です。誰もが参加でき寄れる場所。三味線に関心のない人も、またお年寄りには、何処からか三味線の音色がして来て、懐かしさを思い出すような。若い人には三味線の音って新鮮だと感じられる。第一、三味線の音を実際『生』で聴く機会がないですから。ともかく聴かせてしまおう(笑)と思いました。
 そして実は三味線を知って欲しい、ということよりいろんな人に、僕らが出会いたい、そんな気持ちがそもそもの始まりでしょうか。寄った人達は何だろうといった気持ちになり、刺激が生まれると嬉しい。
 それぞれに新しい出会いが生まれる喜びを一番大事にしたいと思うんです。なによりその出会いから将来の可能性が出て来ると思います」

――あるところは新しい技術で合理的に。またあるところは、伝統を維持する。難しいですが、そうした意図でエレキ三味線に目を向けたのでしようか。
 「楽器の話に戻ります。この店は、8年前に始めましたが、既にその頃から洋楽とのセッションは、ありました。しかし、三味線がそうしたセッションに参加しても、楽器として『音』が乗らなかったんです。客観的にアンサンブルのなかで三味線の『音』が粒立たず、伝わってこなかった。
 音をマイクで拾いラインによりミキサーに取り、音を立ち上げる考え方は、以前からあったわけです。けれども楽器の音として三味線では、成功できなかった。様々な楽器をバックにして、マイクの前で普通の三味線を演奏し、音を拾う場合、音量を上げるとハウリングや夾雑音を、他の楽器以上に拾ってしまいます。何より問題なのが三味線の撥音が強調されてしまい、聴衆には、最初の撥のアタック音−カッカッ−だけしか聴こえないことなんです。
 そんな場面を見たのでどうにかならないものかと思いました。僕らだけがそう思ったわけではなく、すでに先陣の方も、そうした思い―三味線の音がどうにかマイク乗りしないものかという思いを抱き続けていました。三味線の音が『立つ』ことがなく、唄の伴奏楽器でしかなかった。主ではなく、唄や踊りの傍(わき)に立つ楽器だった。
 5年程前エレクトリック三味線『夢絃21』ができて−これなら、こんなことに使える−といったアイデアが演奏家の方から出て来ました。とくに若い方達から、今までの邦楽とは違う音楽シーンで使われ出したことは、前のブームになかった新しい方向です。
 エレクトリック三味線はでき上がり少しずつ話題にもされるようになりましたが、それによる新しい動きはこれからではないかと思います」

――では今後のことを。
 先日のコンサート(『龍宮伝説』8月4日日暮里サニーホール)で木下さんのエレキ三味線を聴いて頂きました。立って演奏していました。元来三味線は、踊りの伴奏や新内流しなどはありましたが、立って弾く楽器ではなかった。立って弾くには弾きにくい楽器です。軽いつま弾き程度なら可能ですが、津軽三味線の撥で力の入った奏法には、座って膝にしっかり固定して、腹にカを溜めた状態でないと演奏になりませんでした。
 木下さんはそれを可能にしてますが、立ちで弾くのはこれまでなかったのです。今後若い方が三味線をバンドとして演奏することを考慮すれば、現在のかたちが最良かどうか問題です。奏法などの変化は、アコースティック・ギターに対するエレキ・ギターのような、思いきった形状の変化と同様の考慮が必要でしょう。
 また、三味線がより多くの広がりを得ようとするなら、価格についても、より求めやすくなる必要があります。
 普通のお稽古三味線は、六万円程からありますが『夢絃』は三十五万円、津軽三味線は五十万円ですから、エレキギターのように気軽に手が出ません。
 元々三味線は、棹自体、木、材科が高いのです。『夢絃』も電気的な部分より、本体自体が高価になってしまうのです。現在の『夢絃』は電気楽器にありがちなノイズは克服できました。
 将来の広がりを可能にするには、価格も十万円以内、しかも立っても弾きやすくしていきたい。また、もっとカラフルにスタイリッシュにできれば良いとも思います。
僕らがこれから、三味線でしなければならないと考えるのは、音楽的なこと以上に、楽器自体の改良と思うのです。これまでの三味線を、立って弾く楽器にしたいんです。
 最後に、今あえて三味線でこだわるところは『間』ということです。音が出ても『間』を生かせなくては、三味線ではない。この辺は、三味線の持つ本来の−音−について次第に僕のなかで熟して来た思いもあり、デリケートなとこですが…」

――そのデリケートな領域は、例えば伝統と現代性などの普遍的な課題に広がります。次に機会があれば、そちらのデリケートなお話をうかがいたいと思います。
 お店の山口繁夫さんが配達から帰られて、お話に加わって頂いた。山口さんは、若いころバンド活動、以前は鍵盤楽器の特約店にお勤めしていた。その経験を生かして『夢絃21』の開発を行った。当日は『夢絃21』の試作機で解説をして頂いた。

 「今の形はエレクトリック・アコースティック三味線ですが、当初は完全な電子処埋(デジタル)も考慮していました。アコースティック三味線ならピックアップで音は拾えることは解っていましたが、それとは別な方向からまず始めたかったんです。
 しかし三味線の音の周波数を位相にして取り出すため、弦、胴、棹などから周波数を拾ってみると振動がどれも違いました。そして、弦振動だけで考えてみました。『夢絃』開発当時のギターシンセサイザーは百分の一秒位でしたが、音の立ち遅れがありました。三味線では、撥を入れて音が遅れては演奏できません。
 ことに三味線では『さわり』という共鳴音が伴います。そのため絶対音が取りにくいこともありました。ドを弾いたつもりでもソが出たりするわけです。そうした経緯でエレクトリック・アコースティックに落ち着きました」
「これ−写真−が最初の試作機です。ピエゾマイクが胴に仕込んであります。最初はノイズが取れませんでした。そこで奏者をアースにすることを考案しました。それが、胴上部までアースの銅版を出すと、意外にノイズを除去できてしまいました。それからプリ・アンプも内蔵し、最終的には、浪曲の国本武春さんに便って項き細部を練り上げました」
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中国である時期言つたことばに「老・壮・青」三者の協力なんてあったが、三味線かとうでは、ご主人(老ではないが)山口さん(壮年)柴田青年と絶妙の対応ができる楽器店だ。三味線に興味のある方は、年齢にかかわらず気軽に訪ねられる。