チラシ・須山敏夫

タイトル   海照(amateru)細野晴臣プロデュースATAVUSU

日時     1992年1月13日(月)五反田ゆうぽうと、開演19:00

主催     三味線かとう 


写真・佐藤清山

本條秀太郎氏に『夢絃21』の演奏実感を聞く
  昨年の10月から通算7回の「海照」コンサートを開いたが、今回の公演は私としても全く初めてのテストケースとして、従来以上に神経を使った。三味線を全部『夢絃21』に変えて、しかも種類が多いだけに練習も大変だった。俚奏楽器の三味線を「主奏楽器」なみに扱ってきたといっても、今回の場合は従来のものと全く機能が異なる電気仕掛け的なものなので、初めはひやひやでした。ところが弾いてみて「生音」主義を通してきた私に忠実に「再生」した音を聴かせてくれました。しかもあの大ホールで――。練習からいろいろな駒を使いましたが、なぜか「竹駒」を使った時の音色が私には良いように感じましたね。自分の弾いた「音」そのものを確かに聴きながら演奏できるということは、演奏家にとっては「ゆとり」を感じさせるメリットがあります。

【みんよう文化1992年4月号 NEWS PICK UP 文・民謡芸能研究家 佐藤清山】より抜粋


アタバスU 海を渡る響(おんがく)『海照』 コンサートツアーを観て
  日本の伝統邦楽器「三味線」の祖型は、遠い大陸の彼方から伝来したが、現在では日本固有の「邦楽」や「民謡」等の伴奏楽器として重要な位置を占め、今日に至っている。この伴奏楽器である「三味線」を『主奏楽器』として、日本に繋がる大陸との接点を「音楽」に求め、果ては宇宙・地球・生物進化の始原『海』に求めるという大構想で、本條秀太郎氏が行ったコンサートツアー・海を渡る響(おんがく)「海照」は、昨年の10月から国内、そして海外で展開され注目を浴びた。彼がその中で主張するすべては、同じく彼が主催する「本條秀太郎の会」〈昭和47年以来通算18回〉の演目に凝集され、その片鱗をうかがい知ることができる。その中でも彼が最も好む言葉が「俚奏楽」である。古風な言語感にとられやすいが「俚(り)」をつけたあたりが、彼のアタバス〈先祖帰り、回帰〉論による主張でもあろうか。邦楽という日本古来の古典音楽を土台としながらも、その上に日本新民族音楽ともいうべきものを構築しようという意気は評価されてよいだろう。それは彼の演奏姿勢の中に垣間見ることができる。
  「海照」コンサートの演奏曲目は14曲。演奏順に挙げると、(1)砂の海(2)海照(3)水宮(4)磐舟(5)歌垣(6)婆沙羅(7)傀儡(8)東日流(9)船玉(10)神津(11)真南風(12)魚の涙(13)翡翠の戦車(14)琉哥〈(1)と(2)は既発表曲〉。コンサートは昨年の10月から、東京2回、北京(中国)、福岡、大阪、スペイン(セビリヤ、マドリード)と続き、特別公演として平成4年1月13日、東京・五反田のゆうぽうとホールで締めくくられた。同公演では、いま話題のエレクトリック三味線「夢絃21」6丁を駆使し注目を浴びた〔主催は『夢絃21』を完成させた「三味線かとう」〕演奏家は、三味線・本條秀太郎、キーボード・国吉良一、パーカッション・浜口茂外也、民族音楽・若林忠宏、二胡・姜建華、篠笛・望月太八、明笛と尺八・藤崎重康、和太鼓・望月太喜之丞、ヴォイス・成世昌平、本條美代子、打楽器・木津茂理、木津かおり。総合プロデュースは細野晴臣という構成。舞台は海庭を模した白砂の段丘、その随所に楽器群がしつらえられ、照明によって光彩を変化させて幻想的な雰囲気を漂わせていた。空間には、白く横たわる物体が懸吊され、宇宙の天体を表現したかのように、舞台全体のバランスを整えていた。
  演奏に使用された『夢絃21三味線』は全部で6丁〔オール紅木製〕―中棹(短棹)3丁、普通の中棹1丁、津軽2丁。特に今回の演奏では、三味線では、三味線とは同系異種の沖縄三線と胡弓に特徴が見られた。沖縄三線は、サワリの付いていない短棹を水牛のピックで弾くと三線と同音色が出る。胡弓は、短棹に胡弓の駒をかけ弓で弾くと同音色になり、義太夫では、太棹に黒水牛の駒と太い糸をかけ、義太夫用の太いバチで弾くと同音色が出る。(6)の婆沙羅は太棹三味線で、(8)東日流では津軽三味線で、(12)の魚の涙は胡弓、(14)の琉哥は沖縄三線で演奏された〈(1)の砂の海は中国の二胡=胡弓と三味線の相聞歌〉。その他はすべて『夢絃21』を使い分けて、それぞれ「主奏楽器」として駆使されていた。これは従来の楽器感覚では考えられないことであり、この点でも『夢絃21』は今後の和洋楽器を用いる音楽界に新しい一石を投じたことになり、その波紋は大きな広がりを見せることになろう。

【みんよう文化1992年4月号 みんようニュース 文・民謡芸能研究家 佐藤清山】より